空を見上げる 先月、大阪でドキュメンタリー映画『妻の病 ーレビー小体型認知症ー』を上映し、監督の伊勢真一さんと対談をした。世界アルツハイマーデー月間の行事である。上映前に監督と昼食を共にして雑談した。 「映画の仕事の前は、大工になろうと思って修行してたんですよ。ある日、親方に呼ばれて、大工は向いていないと言われました」何かを懐かしむような表情で監督は続けた。「お前、ときどき空をポカーンと見上げてるだろう。あれじゃ駄目だってね」 一呼吸置いて、「で、大工は諦めて、映画の仕事を手伝うようになったんです。そしたらね、先輩たちがぼくを褒めてくれるんです。ロケ時の天気が気になるから、よく空の様子を見てるんだなって」監督はいたずらっぽく微笑んだ。 秋空はすがすがしく、思わず空を見上げたくなる。雲ひとつない青空の向こうには何があるんだろう。人生を変えてしまう秘密があるかもしれない。 西川勝 2019年10月2019.10.01 04:44
島でインドの不思議をきく9月最後の週、瀬戸内海の粟島(あわしま)に行ってきました。人口289人。70歳以上がほとんどの高齢化の島ですが、今年は3年に一度の芸術祭のスタートを数日後にひかえ、多くの若いアーティストたちが深夜まで作業を続けていました。ある夜、インド人画家マユールから、彼の出身部族ワルリの話を聞く機会がありました。彼曰く、ワルリの人々は、呪い師が星をみて決めた「パーフェクトな日」に真の闇の中を裸足で山に登って行きます(その日だけ不思議とコブラにもかまれない)。一昼夜歩き続けた末にたどり着くその地では不思議な光の粒が木の根元から空に上っています。彼らはその木からとった液体を飲む。すると…。「後のことはきっとあなたは信じない」。そこまで話すとマヨールは島の闇の中でにやっと笑うのでした。ワルリのシークレットはまだシークレットたりえているようです。今の日本にこんな話あるのかなと思うと急にうらやましくなったのでした。豊平豪 2019年10月2019.10.01 04:42
やりたいこと、やれること ある店先に張り紙がしてあって「やりたいこと、やれることは違う。それを見分けることが大切だ」と書いてあった。誰かの言葉らしい。そりゃ、そうでしょう、と納得しかけたが、いや待てよ。ついこの間、認知症の人の家族と話し合ったことを思いだした。その家族は「認知症になって、どんどんできなくなって、お先真っ暗の気分からぬけられない」と言うのだ。「先のことを考えるなら、できなくなることより、やりたいことを百ぐらい数えるくらいに挙げたほうが良い。やりたいことのない人生なんてつまらないから」というのが、その話の落としどころになった。 確かに、やりたくてもできないことはある。それで失望してしまうこともある。だが、ほかにも希望があれば、そちらの方に向きなおすことは可能なのだ。世界は、人生は、どんな人にも無限のチャンスを与えてくれる。ただ、それに気づくこと。面白そうなことには貪欲であることが必要だ。やりたいことのなかにこそ、やれることはある。西川勝 2019年9月2019.09.01 04:54
墓所あれこれ 先週末、たぶん十数年ぶりに東京タワーに昇る機会がありました。高いところから眺めると、ビルとビルの合間に三角形や台形の墓地がみえます。一度認識すると、360度どこをみても、隙間を縫うように存在する墓地たちが目に入ってきます。 電車に乗り家路についたわけですが、今度は車内広告に「新宿駅から歩いて3分。都心の室内墓所」の文字。「美術館である。なにより仏教寺院である」(?)とか書いてあって、写真には拾骨室のような白大理石の部屋が映っています。壁の一面からは仏像が飛び出し、その前にはグランドピアノ。「お花やお香はいりません。墓参りに必要なのは登録カードだけ」と続きます。 広告で売りにでているのは「個人墓」「樹木葬」。どちらもぼくにはどんなものかわかりませんし、ましてや「女性専用区画」なんて需要はもっとよくわからない。値段高いし。深いため息が出たのでした。 しかし、室内墓所のことを思うと、なんだか東京が墓だらけにみえてきます。いやはや。豊平豪 2019年9月2019.09.01 04:37
バスでの凍死と頭ふでばこ こう暑いと20年前の南国での生活を思い出します。ぼくはそのころ調査と称して南太平洋のフィジー諸島の村で暮らしていて、いろんな「はじめて」を経験したものです。映画館の冷房の効きすぎはよくある話ですが、フィジーだと長距離バスも同じ。ただ映画と違って途中で降りることはできません。一度体にかけるシャツもなく、寒くすぎて体が震えだしたことがありました。ふと横をみると100キロを超えたフィジー人の、汗かいたアフロヘヤおばちゃん。ぼくは寝たふりをしてそっと体を彼女に預けました。その温かいこと!おばちゃんも嫌がりもせず冷え切ったぼくの体を預かってくれました。 彼女とは最終的に仲良くなり家までの地図まで描いてくれたのですが、おばちゃんがすっと鉛筆を取り出したのは巨大なアフロヘヤの中。よく見ると消しゴムまである! バスで凍死しそうになったり、頭ふでばこのおばさんにあったり。この世にはいろんな「はじめて」があるのです。豊平豪 2019年8月2019.08.01 04:33
息を聴く ドキュメンタリー映画『えんとこの歌 ー寝たきり歌人・遠藤滋ー』を観た。伊勢真一監督の最新作で、これから各地で上映会が始まる。一生考え続けるほどのメッセージを贈ってくれたこの作品について、どうしても伝えていきたい。この映画は1999年の映画『えんとこ』の続編にあたる。重い脳性麻痺のために35年間寝たきりの暮らしを続けている遠藤さんと彼の介助者たちの姿を追い続けるドキュメンタリーである。 「言ひたきを無声音にて一心に言へども単語も言ひ切れずをり」遠藤さんの上唇に介助者が指を添えて固定する。かすれた声らしき音が途切れつつも発せられる。介助者は顔を近づけて耳を遠藤さんの口元に添える。なぞるようにして遠藤さんの言葉を繰り返し確かめる。映画を観ているぼくには聞き取れない。この果てしない努力がお互いの間になければ、何も生まれてこないのだ。「聴く」ということ、それを強く考え直すシーンであった。西川勝 2019年7月2019.07.01 04:32
伴侶としての「家族」6月の西川さんの話に「入居者のことを知るためには家族のことも知っといた方がよい」という件がありました。人ひとりを「知る」のは途方もない作業です。会話を通じて相手を知ろうとしても自分がおしゃべりでないと難しいし、相手が無口だったり話せない場合はなおさら困難です。ことば以外の表情なんかで知ろうとしても常識フィルターが発動し、自身にとっての典型的な他者像に相手を押し込めていきます。そんなとき「家族」に注目すれば新しいイメージが手に入るかもしれません。唐突ですが、思想家のダナ・ハラウェイさんは犬を人間の「伴侶種(はんりょしゅ)」と呼びます。「伴侶」とは「つれ合い」のこと。最も古くから人間につれ合っている動物は犬。人間を知るために犬を、犬を知るためには人間を知る必要があるという話なんですが、考えてみれば我々には配偶者以前に「家族」が人生につれ合っている。人を知るためにその家族も知る必要があるのかもしれません。豊平豪 2019年7月2019.07.01 04:27
なじむ時間 前回の西川さんの講演のテーマは「わかる」でした。「知識を得る」のと「わかる」のは違う。西川さんは『星の王子さま』のキツネの言葉を引用していました。「自分が<なじみになる>ものしか人は知ることはできないんだよ」と。 あなたの職場で何か問題が発生したとします。中には問題をすばやく判断する人がいるでしょう。すっと解決策とか出すかもしれません。でも、たぶん納得いかなくて黙っている人もいます。もしかしたら一週間くらいしても「うーん…」とうなっているかもしれません。<なじみになる>には時間がかかり、そうなるとおいそれと断言できなくなります。何にせよ共感できるところはあるし、納得できないところもあるから。それで困っちゃうわけですが、そこをくぐり抜けないと「わかる」こともない。今はぱっと答えが出せる方が評価されがちですが、それって「わかってる」のでしょうかねえ。たまには「うーん」の先も見ないといかんように思うのです。豊平豪 2019年6月2019.06.03 05:37
久しぶりに読んだ本 ぼくは1957年に生まれた。その年のノーベル文学賞を受賞したアルベール・カミュの著書『シーシュポスの神話』(清水徹訳、新潮文庫)を、はじめて読んだのは15歳だった。難しくてよく分からなかったが、わずか7頁の「シーシュポスの神話」には胸を撃たれた。 休みなく岩を転がして山頂まで運び上げると、必ず転がり落ちてしまい、また同じ労苦を死ぬまで繰りかえさねばならない。これがシーシュポスが神々から受けた刑罰であった。絶望しないわけがない。しかし、彼は沈黙の悦びのうちに山を下っていく。不条理な運命を侮蔑によって乗り越えるのだ。不敵な笑みを浮かべている彼は英雄だ。 さて、久しぶりに読んでみると、若い頃よりもずっと腹の底に響くような感動と励ましを感じる。冒頭のエピグラム「ああ、私の魂よ、不死の生に憧れてはならぬ、可能なものの領域を汲みつくせ」というピンダロスの言葉が、ぼくの老いを支える心棒になることを強く望んでいる。 西川勝 2019年6 2019.06.03 05:36
聖地巡礼10連休。なぜかアイドルグループ嵐が全員出演した唯一の映画『黄色い涙』(2007年)のロケ地をめぐるツアーに参加しました。全国からシャッター商店街に集まった20人ほどの参加者。ぼく以外は35歳以上の女性。ガイドさんが「彼が座ったブロック」(路地の単なるブロック)とか「5人が天丼を食べた店」(今は高層マンション玄関)とか紹介するたびに参加者たちの歓声とシャッター音が響きます。満を持してのスペシャルゲストはエキストラ参加した商店街のAさん(単なるおじさん)。ようじを口にくわえて、鞄から参加者限定のTシャツを大事そうに取り出すと歓声があがります。列になってAさんと遺物と記念写真。感動のフィナーレ。「ゆかりの地」をめぐるツアーを「聖地巡礼」というそうですがさもありなん。ぼくは聖書考古学(聖書を史実に基づいたものとして発掘調査する)を思い出しました。ガイドさんの「発表」はまさに学問。濃密な研究はなんであれ素敵なものです。いや、ほんとに。豊平豪 2019年5月2019.05.03 05:35
連休中に思うこと 今年は10連休と言うことで、なにかと話題になっているが、ぼくには実感がない。というのも、勤めを辞めて以来、世間の休日とは無縁というか、毎日が日曜日なのだ。何もすることがないという訳ではない。けっこう用事が続くこともある。だから暇でもないし退屈でもない。 考えてみると、休みって何なのだろう。学校が休み、仕事が休みって、自分が関わる先の都合ではないか、別に自分が休む必要はない。必死の受験生ならば、学校が休みでも勉強を休むことはないだろう。仕事にしたって真剣に取り組めば、職場だけで仕事のことを考えている訳でもないはずだ。それに、休みといっても活動を停止して休息するどころか、人混みのなかに飛び込んだり、遊びで普段よりエネルギーを使うことも珍しくない。というより、遊びに夢中になれるから連休が楽しみなんだ。 なんだか、よく分からなくなってきた。けれど、こんなことを考える余裕というのが休みの特権なのかもしれないなあ。 西川勝 2019年5月2019.05.03 05:33
午前3時半の星空 年上の友人から便りが来た。白内障の手術を受けて、驚くほど見えるようになったという。ことに夜空の星の多さに、帰り住んだ古里への誇りと愛が増したらしい。 三重県熊野市に移り住んだ老夫婦が営む農家民宿に泊まってきた。「何もないところですが、ゆっくりしてください」とご主人。手作りの野菜料理をたっぷり頂いて、早くから寝てしまった。午前3時半、目ざめて庭に出た。満天の星とはこれかと納得した。しばらく眺めていると、さらにかすかな星の光が届けられる。来てよかったと思う。 朝食のとき夜中の感動を伝えると、ご主人は「午前3時頃の星は、何にもまして澄んでいますからね」と応える。夜の底に輝く星の数々、日中の太陽で隠されていた小さな宝石群が姿を見せる。実は昼の空にも星は存在するが、気づかないだけだ。歳を重ねて人生の輝きが衰えたときにこそ、見えてくる星空もあるだろう。そう思うと、これからの楽しみが増えた。西川勝 2019年4月2019.04.03 05:32