20年ほど前に岩手県岩泉町で人類学者が聞き取りした無介助分娩に関する記録があります。子ども8人を自宅で産んだトメさんのインタビュー記事です。彼の地は1970年代まで実に20%近くの割合で、女性が一人で自宅出産を行っていたようです。
トメさんは自身の出産を次のように語ります。「なす(産む)ところは誰にも見せないのさ。猫と同じ。なすときは、うつぶせになってこうやってると(正座して上体を前に倒し、顔を枕につける)、今に(子が)抜ける」。
トメさんにとって、出産はあくまでひとりきりの体験だったわけで、そこには医者や助産師はもちろん、産婆も産爺もいません。トメさんのいう「なす」と僕らのいう「産む」。現象は同じでも、体験としてはだいぶ違いがあるような気がします。
しかし、ぼくはトメさんの「なす」とか「抜ける」ってことばがなぜか好きです。なんか、母親と子どもが「産む/生まれる」を分けずにむりむりっと一緒にやってる気がするのです。
豊平豪 2016年7月
0コメント