7月の人類学カフェのテーマは「痛み」でした。さんざん「痛み」について話す中で、途中からなぜか恋愛の話へ。確かに、恋人との別れはもちろん、好きな相手にひどいことしたという記憶はいつまでもじんじんと心に鈍い痛みを呼び起こします。「うわっ」と風呂場で叫んでみた経験は、多かれ少なかれ誰しもあるものでしょうか。カフェが終った後に、僕もいろいろ思い出して落ち込んだりしたのでした。
「恋愛」には自分以外の誰かが間違いなく登場します。「僕は好きな人にこう思われたいけど、むしろこう思われたに違いない、云々」。相手の思考の先読み悪循環が痛みの記憶に変わります。
考えてみると、心の痛みは相手がいてはじめて起こります。僕らは他者と編んでいる網の目のなかに生きているわけで、それを感じるための大事な仕組みが痛みなのかもしれません。やっかい極まりないこの「痛み」ですが、たまにはしっかりかみしめ直した方がよいように思うのです。
豊平豪 2016年8月
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