昔、南太平洋のフィジーでフィールドワークをしていました。村人として居候しながら、肌が痛いほど暑い日差しや、月の光で山の木々の一本一本が克明に見える世界で、ひたすらに会話の記録を録り続けてたものです。
あるとき、僕は王様について話をしていたつもりなのに、相手は犬について話しているという珍事がありました。フィジー語の「トゥイ」ということばは、標準語だと「王」ですが、ある方言では「犬」という意味になります。それでも、不思議なことに会話は進んでいきます。互いに多少変だと思いましたが、それを瑣末なこととして、僕らはとても楽しい時間を過ごしていました。
ことばにはもちろん意味があります。でもそれは絶対ではありません。コミュニケーションの中で意味も、その場限りの規則もゆるやかに生成していきます。誰かと会話する度に無限に生成されていく意味と規則。おそらく、その過程自体がコミュニケーションの喜びだったりするのです。
豊平豪 2017年9月
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