さいたまと相撲

マレーシアから帰ってきて、埼玉県に居を移しました。中山道の浦和宿、大宮宿の間、徳川吉宗公が享保の改革の時に本格的に新田開発を行ったところです。現在は「さいたま市」と名を変え、東京のベッドタウンとしてぐんぐん開発を進められています。少子高齢化を憂う日本なわけですが、この地域は東京で就職した若者たちがよりよい暮らしを求めて(土地代が安い)、どんどん流れ込んできています。「学校の新設」という、京都府北部では耳慣れない言葉もここではまだ少しなじみがあります。

ただ、一方で様々な古い風習も残っていて、岩槻(旧岩槻市)には「古式土俵入」という儀礼が現在も行われています。取り組みをしないで、子どもが土俵入りだけ行うこの行事は、相撲が単なるスポーツではないことをうかがわせてくれます。子どもというのはまだ人間社会に組み込まれる前の異界の存在です。異界を社会に取りこむための儀式としての側面も相撲にはあったのかもしれません。

豊平豪 2016年4月

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