想像のダンス

 目の前にいる人が、痛い思いをしている。それが耐えようのない痛みなのか、それほどでもないのか、見ている自分には分からないことがある。痛みの表情は、ときに大げさであったり、我慢によって平静を装うことがあるのを、自分でも知っているからだ。とにかく、相手の身に起こっている痛みは、私の身には起きていない。

 砂連尾さんのダンスワークショップで、相手の痛みを想像して自分の身体で表現するという課題に取り組んだ。砂連尾さんが自分の腹と顔を殴る。鈍い音がして彼の身体がうめく。それを見た参加者が痛みを想像してダンスするのだ。「痛そうです」と言うことは簡単だが、痛みを想像して自分の身体に表すのは容易ではない。「相手の身になってみる」「わが身に置きかえる」としても、確かな根拠は見つからない。わからないことへと、自分の心がさしだす仕草を探し求めることは、ときに理解を超えた相手への関わりになる。

西川勝 2015年6月

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