3月30日、舞鶴で『愛のレッスン』の幕が上がった。予想を上まわる観客数に胸が躍る。砂連尾さんが穏やかな声で「さあ、いつものようにレッスンを始めましょう」と岡田さんを誘う。舞台から漂う空気は、ゆるやかだけれど、確実に緊密度が増してくる。いつも、こうなのだ。大げさな開始の合図はいらない。気がつけば日常の向こう側にいる自分たちがいる。芸術の力がもつ不思議さ、これに岡田さんが堂々と向き合っている姿は凜とした美しさに包まれている。幻想的な映像が、観る者の想像をさらに天高くまで押し上げていく。
「十牛図」を裏の基調音にしながら、シーンは展開する。照明が織りなす光と影の彩、ウクレレが心地よさを運んでくるかと思えば、超重低音の音響が腹に響いてくる。舞台の周囲にいる者の全身が、愛のレッスンにまみれていく。
公演をおわって、しばらく自分の内側が落ち着かなかった。「愛は広くて、深くて、難しい」と言った岡田さんと、静かに踊る砂連尾さんから、ぼくに伝えられたこと、それは愛の「おもかげ」である。
私たちを包むいのちの広大で深遠な世界、それは私たちの細胞ひとつひとつに残る生命の記憶に映されている。遺伝子の二重らせんに絡み合っている、太古から連綿と続く愛のおもかげなのだ。
西川勝 2014年4月
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