数年前の冬、ぼくはホテルの窓から舞鶴港を眺めていた。大雪のために帰ることができず延泊していたのだ。「新日本フェリー」の看板を見つけたが、何処へ行く船なのかも知らなかった。
つい先日、急用で北海道の帯広へ出かけた。用事を済ませた後で、どうやって帰るかを思案する。飛行機で雲の上をやって来たのだから、帰りは船で波に揺られてみようか。翌朝、ぼくは小樽まで鉄道で移動した。フェリーの時刻までを、どう過ごすかにあてはなかった。散髪屋にふらりと入ってみたし、観光客で賑わう運河にも行った。それでも、ターミナルの待合室でたっぷりと待った。そして20時間の航海、舞鶴港に着港したのは、翌日の夜。船と過ごす時間の流れは、ぼくを緩めてくれた。今さら気づいた。舞鶴は港なのだ。
ぐれいす村にも、「とつとつ」という名の港がある。出船、入り船、のんびりとした時間のうちに忘れられない出来事の起きる大好きな港なのだ。
西川勝 2015年9月
0コメント